主に芥川賞受賞作のあらすじと感想を書いていくブログ(仮)

芥川賞受賞作や候補作のあらすじ(ネタバレあり)と感想を書いていくブログです。でも他の事を書くことがあるかもしれません。感想の部分は独断と偏見に満ちています。気分を悪くされる方がいらっしゃるかもしれませんので、お読みする際は十分ご注意ください。

タグ:女性作家

あらすじ
※ネタバレ注意

主人公は長瀬由紀子、29歳。
彼女は工場のラインとして働いている。
ある日、仕事の休憩時間、掲示板に新たなポスターが貼られていることに気付く。
それは世界一周クルージングのポスターで、その費用は163万円と記されている。
彼女はそれを見て、その費用が自分がこの工場で1年間働いて稼げる給料と同額であることに気付く。
彼女は決意した。
この1年で163万円を稼いで、世界一周の旅に出ると。
その日からナガセの金銭感覚は研ぎ澄まされて行った。
友人のヨシカ、そよ乃、りつ子と行った美術館の費用や夕食に行ったレストランの代金や電車の運賃など、ナガセはお金の収支を細かくメモ帳に記していった。
そよ乃は大学の時の友達で、今は結婚して子供も生まれ、家族仲良く暮らしている。
そよ乃は事あるごとにカフェの店長を務めるヨシカに家庭内の愚痴を吐露している。
そのカフェの給仕としてたまに働いているナガセは、そんなヨシカを見て不憫に思っている。
ある日、ナガセが仕事から帰宅すると、りつ子が子供の恵奈をつれて家の前で遊んでいた。
夫に愛想を尽かして家出してきたのだ。
りつ子はナガセの家にしばらくの間泊めてくれて言う。
ナガセの家が広いということをりつ子はナガセとヨシカの会話から知っていたので、それを頼ってきたのだ。
ナガセも一緒に暮らす母も特に抵抗する様子を見せず、彼女らを受け入れる。
ナガセの母親は恵奈をよく奈良公園や東大寺に連れて行った。
恵奈は大仏が好きで、何度行っても飽きないのだと言った。
りつ子は実家に行って夫と離婚する旨を告げたり、恵奈の新しい幼稚園への準備をしたりと奔走する。
ナガセは相変わらず工場のラインとして務め、お金を貯めている。
その内に月日は過ぎ、りつ子は新しい職と住居を見つけ、家から出て行った。
「寂しくなるなあ」
ナガセの母親は言った。
ナガセは孫を作ってやれないことに対して少し悲しくなった。

30歳の誕生日が近くなる頃、咳が止まらなくなった。
初めは軽い風邪のようなものだと思い、すぐ治るだろうと気にも留めなかったが、それは日を増すごとに激しさを増し、ある日ナガセはバスの中で倒れてしまう。
その日からナガセは仕事を休んで、家の中で療養する日々が続いた。
当然仕事には行けず、世界一周に行くための費用は稼げなくなってしまった。
家の中で悶々としている時、りつ子から手紙が届いた。
それは恵奈が夏休みの自由研究を完成させたという手紙だった。
題は『食べられる観葉植物』で、恵奈はイチゴを買ってくれとせがんだが、とりあえずペパーミントを買って与えたと。
そして最後に、借りていたお金を口座に振り込んだので確認してください、と手紙に書かれていた。
ナガセは体調が治ったこともあり、自転車を飛ばして駅前のATMに行った。
画面に映し出された金額は世界1周に行ける費用とちょうど同じくらいだった。
りつ子が返してくれたお金が振り込まれたのと、めったに出ない会社のボーナスが支給された結果だった。
ナガセは驚き、そのまま気分良く工場へクルージングの資料を取りに行った。
工場で仲の良い岡田さんと会った。
岡田さんはナガセがバスで倒れた時、介抱してくれた人だ。
そのお礼のため、ナガセは岡田さんをお茶へと誘う。
岡田さんの仕事が終わった後、彼女らは会うことになった。
自転車にまたがり、帰り道である坂を気持ちよく下りながら、ナガセは岡田さんに奢るお茶代と恵奈に買ってあげようと思っているイチゴの費用をメモ帳に記そうと思ったが、やめた。
また会おう。
何者にでもなく、ナガセは呟いた。

感想

30歳を間近にひかえた女性の内面を真摯に淡々と描き出した作品。
結婚、子供、仕事、夫婦生活。
迫りくる人生のイベントに対して、主人公のナガセは周囲の友人達を見渡しながら、自分のことと照らし合わせる。
ナガセは前職を上司のモラスハラスメントを理由に辞めており、仕事に対しての恐怖心が強い。
そのため退屈なライン作業に対しても真面目に取り組む。
健気さを感じさせるが、そこに物悲しさのようなものはない。
淡々と正確な筆致で物語は紡がれていく。

29歳の女性の生活が淡々と穏やかに描き出され、現実にあり得る人生が映し出される。
すべてがリアルの中で構成されており、嘘がない。
確実に存在するであろう人生模様が描き出されている。
大きなドラマもなく、人間が生きる現実が映し出されて行く。
主人公は決して恵まれた環境にないが、それを悲観することはせず、強かに、そしてユーモラスに日々を生きていく。
そこにあたたかな悲哀のようなものを感じさせ、しかしそれは悲しくなると言うのではなく、なんとなく笑ってしまうような、親しみのようなものを感じさせる。
奈良の郊外、しかし決して田舎ではなく、そこそこひと気のある地域に住む人間たちの悲喜こもごも、しかし決して波乱万丈ではなく、あくまで穏やかで現実的な人間の出来事を、その過剰すぎず、また過不足ない筆致で描いている。
そして人間がいつの日か陥りそうな陥穽が、ひっそりと描かれている。
淡々と物語は進んで行くが、そこには所々人間の細やかな機微が描かれるため、機械的な印象は与えず、しっかりと血の通った人間の瑞々しさが伝わってくる。
29歳の女性の何気ない日常を描きながら、時に人間のあたたかさを感じさせてくれる、優しい作品だと思った。

あらすじ
※ネタバレ注意

主人公は及川。女性。
彼女は五反田に来ていた。
ある目的のためだ。
合鍵を使い、マンションの一室に侵入する。
そこで出会ったのは一人の幽霊。
彼の名は太っちゃん。
太っちゃんとは新卒で入って会社の同期だ。
ここから彼との出会いにさかのぼる。
及川が新卒で入った会社は住宅設備機器販売会社。
そこで同期で入ってきたのが太っちゃんだ。
太っちゃんは名は体をあらわすがごとく、恰幅の良い男性だった。
太っちゃんと及川はまず福岡に配属される。
同期入社の及川と太っちゃんは、同期同士ということで絆を深めて行く。
クレームに振り回されたときも、トラブルが発生した時も、いつも太っちゃんはそばにいた。
なれない土地ということもあり、不安が尽きなかったが、彼と死線を潜り抜けたり、福岡の町を練り歩いたりすることで、毎日は大変ながらも楽しいものになった。
恋愛対象ではないが、それでも彼といることは楽しく、絆は深まっていく。
やがて太っちゃんは先輩の井口と結婚し、子供にも恵まれる。
月日がたち、及川は埼玉への転勤を命じられる。
福岡を離れるのはさびしかった。
また何年後か、太っちゃんも東京への転勤が命じられた。
東京の地で二人は飲みに行くことになり、太っちゃんがある話題を持ちかける。
「お前、死んだあとパソコンのハードディスクどうする?」
パソコンのハードディスクには人に見られたくない情報がわんさか入っている。
彼はそれを心配したのだ。
そして二人はある約束を交わす。
もしどちらかが先に死んだら、生きている方が死んだ方のハードディスクを壊しにいくと。
そして二人はお互いの家の合鍵を交換し合う。

太っちゃんの死は突然だった。
ビルの屋上から身投げした人間に下敷きにされたのだ。
即死だった。
彼の死を聞いて、及川は涙を流す。
しかし彼女にはやることがあった。
及川は営業の途中、五反田に行き、単身赴任中だった太っちゃんのアパートに行く(妻の井口は脳溢血で倒れた母親の看病のため、福岡に滞在)。
彼からもらった星型ドライバーをつかい、パソコンを解体し、ハードディスクを取り出し、破壊する。
役目は果たした。
涙を落とす及川。
ハードディスクを壊したことで、彼が死んでしまったことを再認識した。

後日、先輩の副島と共に、妻である井口のもとを訪ねる及川。
そこで井口に遺品である太っちゃんが使っていたノートを見せられる。
そこには彼のポエムが書かれていた。
「俺は沖で待つ
小さな船でおまえがやって来るのを
俺は大船だ
なにもこわくないぞ」
「沖で待つ」という表現が妙に心に残った及川。

埼玉に戻っても彼女の生活は変わらなかった。
また彼女に転勤の辞令が出る。
しかし及川はショックを受けたり、メランコリックになったりすることはなかった。

ラストは幽霊となった太っちゃんとの会話に引き戻される。
幽霊となった太っちゃんはなぜか及川のハードディスクの内容を知っていた。
「お前、観察日記なんかやめた方がいいぜ」
及川は向かいのマンションの住人の部屋を覗くことを習慣にしていて、その様子を日記にしたためていた。
「盗聴器はさすがにまずいよお前」
太っちゃんは何でも知っていた。
太っちゃんのことが懐かしくてたまらなくなる及川。
「同期って不思議だよね、いつ会っても楽しいじゃん」と及川。
「俺もだよ」
「覚えてる?初めて福岡に行った時のこと」
「おう、覚えてるよ」
それ以上会話は必要なかった。
彼らの中にはあの日の福岡の景色が浮かんでくる。
あの日感じた不安感が彼らの原点で、それは他の誰にも理解されなくてもいいのだ。
ただ私と太っちゃんだけが持っていればいい思い出。
「太っちゃん、死んでからまた太ったんじゃない?」
そう言うと太っちゃんは笑った。

感想

ですます調の文体。
新卒で住宅設備機器メーカーに入った女性と同期の太っちゃんと呼ばれる男性との友情が描かれる。
随所に住宅設備機器の用語が散りばめられる。
恋愛を介しない男女の交流が描かれ、彼との関係が主題に置かれながらも、新入社員の奮闘が描かれる。
特に感情移入はできなかったが、小説としては良くできてるし、長くもないのでさらっと読める。
さらっと読めるが故に、あまり心に残らないとも言えるかもしれない。
小説としての出来はいいが、おもしろさとしては「可もなく不可もなく」、という印象を受けた。

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