あらすじ
※ネタバレ注意

主人公は香水やバスソープを扱う会社で広報兼営業として働く男。作中で明言されているわけではないが、おそらく20代。
彼は日比谷線の車内の中であることをやらかしてしまった。
何らかのトラブルで停車したままの車内、彼は車外の広告をぼーっと見ていた。
その広告は臓器提供の広告。
その広告にはこう書かれている。「死んでからも生き続けるものがあります。それはあなたの意思です」
それを見て主人公は後ろにいる先輩社員の近藤に話しかかる。
「あれ見てくださいよ、なんかぞっとしません?」
しかし主人公は忘れていた、近藤がすでに六本木駅で降りていたことを。
振り向いて話しかけてしまったのは、一人の見知らぬ女だった。
女はきょとんとした顔をしていた。
車内の乗客が一斉に主人公を見て、失笑が起ころうとした時、その女性が
「ほんとねえ、ぞっとする。ちょっと怖いっていうか、不気味な感じよね」
と主人公の問いに答える。
乗客は二人が知り合いなのだと認識し、各々の時間に戻った。

改札を抜け、地下通路を歩く主人公。
後ろを振り返ったが、すでに女の姿はなかった。
日比谷公園のベンチに腰掛け、コーヒーを舐める主人公。
彼はここから見る景色が好きだった。

ある日、いつものように日比谷公園で休憩していた時、あの女が現れた。
日比谷線の車内で話しかけてしまった女だ。
彼は彼女の下に走り寄る。
「こんにちは」
先に話しかけてきたのは女だった。
「こんにちは」遅れて返事をする主人公。
こうして男と女の交流が始まった。

彼と女は日比谷公園で会うたびに会話を交わした。
その間にも主人公の生活は続いていく。
地元から観光に来ている母親。
別居中の宇田川夫妻。
昔好きだった同級生が、子供を産んだこと。

ある日、女はある写真展に行きたいと行った。
公園で待ち合わせて、その写真展に行く二人。
そこに並べられていた写真は女が生まれた故郷の写真だった。
帰り際、女は「私、決めた」と晴れやかな声で告げ、地上への階段を駆け上がる。
主人公も後を追い、地上へ出る。
女の姿はすでに遠くにあり、主人公は女の姿を見届ける。
彼は、女につられ、自分までもが何かを決めた心境になっていた。

感想

都会に生きる20代社会人男性の心象を淡々と、そして爽やかに描いた作品。
ストーリーらしいストーリーが存在せず、あらすじを書くのに苦労した。
捉えどころのない作品で、これが純文学だと言ってしまえばそれまでなのだが、なんだが全体的にふわふわしていて、読んでいてよくわからない心境になった。
単なる事象や客観的な事実の積み重ねで、純文学のお手本と言われればその通りなのだが、主人公に親近感や共感を感じることができなかった。
感情移入と言うものができなかった。
なぜ感情移入ができなかったか、考えてみた。
それはは主人公に悩みがないからではないだろうか、と思った。
ほとんどの人が抱えるであろう悩みもしくは心の闇というものが描かれてないから、読んでいて退屈な印象を受けるのかもしれない。
人間の泥臭い所。怒りや悲しみ、悔しさや喜び。
人間が何を考え、何を思い、何を感じるか。
そういった人間としての根源の部分がこの作品にはない。
ただただ男性が見ている景色や生活が描かれ続ける。それだけだ。
しかしそれが同時にこの作品の爽やかさや清潔感のようなもを生み出しているのだとも思う。
長所が短所であり、短所が長所であるというあれだ。

小説を読む目的は様々であると思うが、私の場合は主人公に共感し、孤独を紛らわすためだ。
この主人公には距離を感じたし、じゃあ何か伝えたい重要なテーマがこの小説にあったかと言うと、私にはいまいちわからなかったし、そしてそれが描かれているかと言うと、そうとは思えなかった。
ただ都会に生きる青年の日常を描いた、それ以上でも以下でもないような気がした。
小説としてのうまさはピカイチではあるが、何か小説として大切なことが抜け落ちてしまっているような、そんな印象を受けた。

繰り返すが小説としての質はかなり高い。
特にラストシーンの描写は素晴らしい。
読み終わった後、泣きたくなるような、走り出したくなるような、そして同時に自分の無力さを思い知らされるような、素晴らしい読後感だった。
一瞬少し古臭いバブル期のドラマの印象を与えるが、そこに残るのはわざとらしくない爽快感だ。
この最後の描写を読むためだけでも、この作品は読む価値があるかもしれない。そう思わせるほど力のある描写だった
この作品はショートムービーとして撮影すれば、かなり面白いものになるのではないかと思った。